美術館ー岡山・大原美術館
大原美術館の創始者、大原孫三郎は早稲田大学の先輩だった。
美術館@美術館情報の美術館館長大作です。
美術館めぐり。今日の美術館情報は、美術館です。
倉敷紡績の3男として生まれた大原孫三郎は明治30年(1897年)に
東京専門学校(後の早稲田大学)に入学していますが、金持ちの
ぼんぼんで遊び呆けたおかげで中退しています。
兄たちが次々夭折したので、家業を継いだわけですが、それからが
偉かったんですね。
大原孫三郎のことはこちらでわかります。
大原孫三郎と大原美術館、自然博物館、大山康晴記念館
さて、大原孫三郎の偉業は、次のとおりです。
・明治35年(1902年)には工場内に尋常小学校を設立。
・倉敷商業補修学校(現在の倉敷商業高校)を設立。
・日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。
(支援金額は現在の金額では数百億円に上ったほど)
・大正3年(1914年)に大原奨農会農業研究所(現在の岡山大学
資源生物科学研究所の前身)を設立。
・社会問題の研究機関として大正8年(1919年)大原社会問題
研究所(現在の法政大学大原社会問題研究所)を開設。
・大正12年(1923年)倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立。
・蒸気による動力から電気動力への転換を図り中国水力電気会社
(現在の中国電力)を設立。
・中国合同銀行(現在の中国銀行)の頭取となる。
・大正15年(1926年)倉敷絹織(現在のクラレ)を設立。
・昭和10年(1935年)倉敷毛織を設立(後、倉紡に吸収合併)。
これに加えて、大原美術館を開館しているわけです。
そして昭和18年(1943年)倉敷市の自宅で死去。
享年62歳でした。
すごい!の一言でしょう。
こんど大原美術館に行く機会があったら、ぜひこの大原孫三郎の行った
業績を思い出してください。
大原家は、美観地区の中央あたりにあります。
案内は、こちらのサイトで。
ついでにこちらも、美観地区の説明
美術館めぐり、いかがでしたか?次回も大原美術館です。
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倉敷紡績の3男として生まれた大原孫三郎は明治30年(1897年)に
東京専門学校(後の早稲田大学)に入学していますが、金持ちの
ぼんぼんで遊び呆けたおかげで中退しています。
兄たちが次々夭折したので、家業を継いだわけですが、それからが
偉かったんですね。
大原孫三郎のことはこちらでわかります。
大原孫三郎と大原美術館、自然博物館、大山康晴記念館
さて、大原孫三郎の偉業は、次のとおりです。
・明治35年(1902年)には工場内に尋常小学校を設立。
・倉敷商業補修学校(現在の倉敷商業高校)を設立。
・日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。
(支援金額は現在の金額では数百億円に上ったほど)
・大正3年(1914年)に大原奨農会農業研究所(現在の岡山大学
資源生物科学研究所の前身)を設立。
・社会問題の研究機関として大正8年(1919年)大原社会問題
研究所(現在の法政大学大原社会問題研究所)を開設。
・大正12年(1923年)倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立。
・蒸気による動力から電気動力への転換を図り中国水力電気会社
(現在の中国電力)を設立。
・中国合同銀行(現在の中国銀行)の頭取となる。
・大正15年(1926年)倉敷絹織(現在のクラレ)を設立。
・昭和10年(1935年)倉敷毛織を設立(後、倉紡に吸収合併)。
これに加えて、大原美術館を開館しているわけです。
そして昭和18年(1943年)倉敷市の自宅で死去。
享年62歳でした。
すごい!の一言でしょう。
こんど大原美術館に行く機会があったら、ぜひこの大原孫三郎の行った
業績を思い出してください。
大原家は、美観地区の中央あたりにあります。
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1. 岡山にゆかりのある「すまう」本 [ 『河本ぼあらの地球はまあるいよ』 女ひとり世界一周旅日記の作者ブログ ] 2006年12月24日 01:19
『Aube-比較芸術学』創刊のご案内
今回は「すまう」ことがテーマです。
大原美術館館長、高階秀爾先生による
「大原美術館の成立と二十一世紀の課題」などの記事も!
Aube―比較藝術学〈第1号〉芳賀 徹、高階 秀爾 他 (2006
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